あの景色が、違って見えた。|はじまり

なんで、今になって あの 景色を思い出したのだろう。

そのきっかけは、何か特別な美容法に出会ったことでも、誰かに洗顔の大切さを教えてもらったことでもありませんでした。

仕事に疲れ、今日はゆっくりお風呂に浸かりたい。

ただ、そう思った夜のことでした。

鏡に映る自分の肌には、少しゴワつくような、うまく言葉にはできない違和感がありました。

また、肌が不安定になるのかもしれない。

そんな予感はありましたが、その日は、新しい美容液を探す気力もありませんでした。

湯船に浸かり、いつもよりゆっくりと身体を動かす。

急いで済ませる元気がなかったから、泡立てることも、顔を洗うことも、すすぐことも、一つひとつが自然とゆっくりになっていました。

肌のために、丁寧な洗顔をしよう。

そう考えていたわけではありません。

疲れていたから、いつもの洗顔までゆっくりになった。

本当に、それだけのことでした。

けれど、その何気ない夜が、それまでほとんど目を向けてこなかった洗顔を、初めて立ち止まって見るきっかけになりました。

そして、遠いタイで見たあの景色の意味も、そこから少しずつ変わり始めたのです。

ただ、当たり前にしていた。

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今になって振り返ると、当時の私にとって、洗顔はただ毎日当たり前にするものでした。

欠かさずしていたけれど、「洗顔で肌を整える」という考えはなく、漠然と、スキンケアの前にやっておくこと。

洗顔そのものに、何かを期待することもありませんでした。

肌を整えるために私が目を向けていたのは、そのあとに使う化粧水や美容液でした。

肌が乾燥していると感じたら、うるおいを補うもの。

不安定になっていると感じたら、できるだけ負担をかけにくいもの。

肌が気になるときほど、次に何を使えばいいのかを考えていました。

美容部員として化粧品や成分について学ぶようになってからも、その視線は大きく変わりませんでした。

お客様からお悩みを伺うときも、自分の肌に違和感を覚えたときも、頭に浮かぶのは、何を補えばいいのだろうということ。

その一方で、毎日していた洗顔については、立ち止まって考えたことがありませんでした。

簡単に泡をつくり、顔を洗う。

最後はシャワーを顔に当て、すすぎも手早く終わらせる。

忙しい日も、そうでない日も、それがいつもの洗顔でした。

だから、あの夜も、洗顔に何か答えを求めていたわけではありません。

仕事に疲れ、今日はゆっくりお風呂に浸かりたい。

そう思って湯船で過ごしているうちに、いつもより 身体を動かす速さまでゆっくりになっていました。

いつもの洗顔石鹸を手に取り、泡立てる。

できた泡で、急がずに顔を洗う。

そして、いつもより時間をかけてすすいでいく。

肌のために、丁寧な洗顔をしようと思ったわけではありません。

疲れていたから、いつもの洗顔までゆっくりになった。

けれど、結果として、その夜の洗顔は、いつもよりずっと丁寧なものになっていました。

ただ、ゆっくり洗っただけ。

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すすぎを終え、鏡に映った自分の肌を見たときに、

「あれ?」

思わず、もう一度、顔を近づけました。

お風呂に入る前には、肌が少しゴワつき、どこかくすんで見えるような気がして、

「また不安定な状態に傾いていくのかもしれない」

そう感じていたはずなのに、鏡に映る肌は、さっきまでとは少し違って見えました。

指でそっと頬に触れてみる。

いつもよりやわらかく、思わず、もう一度触れたくなるような感触がありました。

「なんだか、今の肌は調子がいいかもしれない」

ゆっくり湯船に浸かったからなのか。

いつもより丁寧に洗顔をしたからなのか。

何が理由なのかは、そのときの私には分かりませんでした。

ただ、そのときはまだ、化粧水も美容液もつけていませんでした。

肌のために、新しいものを使ったわけでもありません。

肌を整えるのは、そのあとに使うものだと思っていた私にとって、洗顔直後の肌に小さな違いを感じたことは、意外な出来事でした。

もしかすると、洗顔も、今まで思っていたより肌にとって大切な時間なのかもしれない。

初めて、そんな考えが浮かびました。

それまで私は、肌が気になるたびに、次に使う化粧水や美容液を探していました。

けれど、新しいものを探す前に、毎日当たり前にしていることにも、目を向けてみた方がいいのかもしれない。

その夜に感じた小さな違いが心に残り、私は少しずつ、毎日の洗顔を意識するようになりました。

あの日の洗顔を、たどるように。

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その夜に感じた小さな違いが心に残り、私は、毎日の洗顔を少しずつ意識するようになりました。

何か新しい方法を始めたわけではありません。

泡をいつもより丁寧につくり、急がずに洗う。
そして、泡が残らないように、きちんとすすぐ。

これまで何気なくしていた一つひとつを、丁寧にするようになっただけでした。

すぐに何かの答えが出たわけではありません。

肌の調子は毎日同じではなく、よく眠れなかった日や、仕事が忙しかった日には、肌が不安定に感じることもありました。

それでも、同じことを続けていくうちに、
以前から気になっていた毛穴の黒ずみも、少しずつ気にならない日が増えていったのです。

化粧をしたときにも、以前とはどこか違うように感じることがありました。

そして何より、肌が気になったときの、私の向き合い方が変わり始めていました。

以前なら、次は何を使えばいいのだろうと、新しい化粧水や美容液を探していました。

けれど、その前に、まずは今の肌をよく見るようになりました。

少しゴワついていないか。

いつもと違うところはないか。

そして、初めて洗顔後の肌に小さな違いを感じた、あの夜のことを思い出す。

泡を丁寧につくり、急がずに洗う。

そして、泡が残らないように、きちんとすすぐ。

あの夜の洗顔をもう一度たどるように、毎日の洗顔と、自分の肌に向き合うようになっていました。

振り返れば、あの頃の私は、本当にもったいなかったと思います。

肌のことを知りたくて美容の世界に入り、化粧品や成分について懸命に学んでいたのに、毎日必ずしていた洗顔には、ほとんど目を向けていませんでした。

売り場で出会ったお客様も、肌が気になるたびに、次に使うものを探していました。

けれど、それはお客様だけではありません。

私自身も、同じだったのです。

何かが気になってから、新しいものを足す。

それだけではなく、毎日していることを丁寧に続けながら、大きく崩さないようにする。

肌にも、そんな向き合い方があるのかもしれない。

そう考えるようになったとき、学生時代にタイの農園で渡された「一本の枝」を思い出しました。

あの人たちは、何をしていたのだろう

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最初に浮かんだのは、タイの農園で渡された、一本の枝でした。

そして、その記憶をたどるように、あの日の景色が少しずつ浮かんできました。

強い陽射しの下で、生き生きと育っていたハーブ。

その農園を管理していたご夫婦。

日に焼けた顔でにこっと笑うと、白い歯が目立つ二人。

学生だった頃の私には、ただ「自然とともに暮らす人たち」に見えていました。

けれど、洗顔を通して毎日の肌に目を向けるようになってから、その姿が少し違って見え始めました。

ご夫婦にとって、ハーブは、特別なときだけ使うものではありませんでした。

食べる。飲む。塗る。
乾燥させたり、細かくして貼ったりしながら、さまざまな形で暮らしの中に取り入れていました。

農園を訪れた日、ご夫婦の家で昼食をご一緒したことがあります。

床に敷かれたマットの上に並んでいたのは、タイ米や大豆を使った料理と、たくさんのハーブが入った家庭の味。

中には、日本では料理に入っているところを見たことがないような、大きくて硬い葉もありました。

「これは、こうやって食べるんだよ」

「これは、このハーブだよ」

一つひとつ楽しそうに教えてくれる二人の話を聞きながら、当時の私は、初めて見る食事や植物の使い方を、ただおもしろいと感じていました。

けれど、あとになって思い返すと、ご夫婦は、身近にある植物を何でも取り入れていたわけではありません。

植物について多くのことを知っていたからこそ、そのときの自分たちに必要なものを選び、必要な分だけ暮らしに取り入れていました。

あの一本の枝も、同じだったのだと思います。

歯ぐきの痛みについて話した私に、現地の方は、近くにあるものを何となく差し出したわけではありませんでした。

植物のことを知っていたからこそ、迷うことなく、その一本を選んでくれた。

当時の私は、差し出された枝にばかり驚いていました。

けれど、本当に目を向けるべきだったのは、その植物を知り、自分たちの暮らしの中で使っていた人たちの姿だったのかもしれません。

何かが大きく崩れてから、慌てて新しいものを探すのではなく、毎日の中で、自分たちの身体や心に目を向ける。

必要なものを、必要なだけ。

そうしながら、ご夫婦は自分たちの暮らしを、自分たちの手で整えていたのだと思います。

そして、そのそばには、現地の人たちの話へ熱心に耳を傾けていた父がいました。

同じ場所に立ち、同じ人たちの話を聞いていたはずなのに、あの頃の父と私は、きっと違うものを見ていました。

一本の枝。
生き生きと茂るハーブ。
穏やかに笑う農園のご夫婦。
そして、私の少し前を歩いていた父の背中。

洗顔を通して、毎日の肌に目を向けるようになったとき。

それぞれ別の思い出として残っていた景色が、少しずつ、私の中でつながり始めました。

洗顔は、スキンケアの "前" ではなかった。

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それまでは、

お客様から伺った肌の悩みも、自分の洗顔を見直した夜も、タイで見た景色も。
どれも、私の中には、別々の経験として残っていました。

それらをつないでいたのは、「何を使うか」ではなく、自分自身とどのように向き合うか、ということだったのだと思います。

何かが気になってから、新しいものを足す。

私は、そればかりを繰り返してきました。

けれど、農園のご夫婦が、毎日の暮らしの中で自分たちの身体や心に目を向けていたように、肌にも、日々の中でできることがあるのかもしれない。

そう思いました。

そこで初めて、それまで当たり前にしていた洗顔の意味が、少しずつ変わり始めました。

私にとって洗顔は、化粧水や美容液を使う “前” にするもの。

スキンケアは、洗顔を終えたあとから始まるものだと思っていました。

けれど、毎日の洗顔を意識するようになってから、その”前”にしていたことが、肌にとって大切な時間なのかもしれないと感じるようになりました。

洗顔は、ただ次のケアへ進むために済ませるものではない。

その日の肌を見て、触れて、自分の肌と最初に向き合う時間。

何を与えるかを考える、その前に。

毎日の洗顔を丁寧にすることもまた、肌を整えるための向き合い方の一つなのかもしれない。

洗顔も、肌を整えるための大切なケアなのではないか。

初めて、そう思うようになりました。

もちろん、化粧水や美容液が必要ではないと思ったわけではありません。

それらによって喜ぶお客様を、私は売り場で何人も見てきました。

ただ、肌に何を与えるかばかりを考えていた私が、初めて、その前にある洗顔へ目を向けたのです。

そして、洗顔の意味が変わり始めたとき。

ずっと身近にあった、あの洗顔石鹸にも、初めてきちんと目を向けるようになりました。

それは、学生時代に父の隣で見た、あのタイの景色の先で生まれた「生せっけん」でした。

ずっと、目の前にあったもの。

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洗顔の意味が変わると、ずっと身近にあった生せっけんも、それまでとは違うものに見え始めました。

学生時代、父の隣で訪れたタイ。
強い陽射しの下で育っていたハーブ。
植物について多くのことを知り、必要なものを必要なだけ暮らしに取り入れていた人たち。

あの頃の私は、父と同じ場所に立ち、同じ景色を見ていたはずでした。

けれど、そこで父が何を見つめ、その先に何をつくろうとしていたのかまでは、考えたことがありませんでした。

私にとって生せっけんは、以前からそこにある、身近な洗顔石鹸の一つでした。

毎日のように使っていても、なぜこの石鹸が生まれたのか。

その背景に、どのような考えがあったのか。

きちんと知ろうとしたことはなかったのだと思います。

けれど、お客様の肌と向き合い、自分自身の洗顔を見直し、タイで見た景色を思い返したあとでは、もう同じ見方はできませんでした。

なぜ、洗顔だったのだろう。
あのタイの景色と、生せっけんは、どのようにつながっているのだろう。
そして、父は、あの場所で何を見ていたのだろう。

知りたいことが、いくつも浮かびました。

このときの私は、まだ、洗顔について自分の言葉で語れるほどの答えを持っていませんでした。

ただ、肌に何を与えるかばかりを考えていた頃には見えていなかったものが、確かに目の前にある。

そう感じていました。

遠くへ探しに行かなければならないと思っていた答えは、もしかすると、ずっと身近なところにあったのかもしれません。

私は初めて、自分の意思で、その生せっけんを知りたいと思いました。

それは、洗顔をもっと深く知るための、私の新しい入り口になりました。

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